ホールの響き

ホールの響き

おとくん

お父さん、この間ベートーベンが、半音低く調律されたピアノで、ホルン・ソナタを演奏したときに、半音上げてピアノパートを演奏したという話をしてくれたでしょ

お父さん

ああ、ベートーベンが、絶対音感をもっていたという話ね。

おとくん

今日、音楽の時間に、ブラームスとか、マーラーとか、ロマン派の交響曲を聴いたんだ。当時の作曲家の時代って、レコードもない時代だよね。演奏は、音楽ホールで行われていたの?

お父さん

18世紀末ごろまで、音楽はヨーロッパ貴族達の館で演奏されていたんだ。現存する最古のシンフォニーのためのホールが、オーストリア、ハンガリーの国境アイゼンシュタットという町にあるんだけど、それは、領主が音楽のパトロンとして交響曲の父ハイドンのために、お城の一部を使用したって云われているんだよ。

おとくん

音楽は、貴族たちのために演奏されたんだね。市民のためのホールは、いつごろから建てられるようになったの?

お父さん

王様や貴族のためだけではなく、市民自らの力でつくりあげたはじめての演奏会場は、1781年に建てられた旧ゲハントハウスだね。ここでは、メンゼルスゾーンが音楽監督を務めて、ベルリオーズ、チャイコフスキーも自作の指揮、演奏もしたって云われているんだ。
有名なクラッシックの作曲家は、当時指揮者だったり、演奏家でもあったんだね。19世紀後半になると、バッハ、ヘンデル、モーツァルトはすでに確立した古典になっていたし、ベートーヴェンも没後すでに数十年を経過していて、演奏会の演目の中心だったそうだよ。おとが、今日音楽の授業で聴いたブラームスの交響曲4曲が書かれたのもこの頃だね。実は、現存するコンサートホールで、もっとも音響がいいといわれるホールの多くが、19世紀の後半に建てられているんだ。

おとくん

ロマン派の作曲家が多く出てきたことと関係があるの?

お父さん

確かなかことはわからないけど、関係あると思うよ。19世紀の後半のホールの代表的なホールは、ウィーンにあるムジークフェラインスザールだけど、ブラームスは、ウィーン・フィルの指揮者として1872年から75年まで、マーラーも1898年には同じくウィーン・フィルの指揮者としてムジークフェラインスザールの指揮台に立っているんだ。ブラームスやマーラーが作曲しながら頭の中で鳴っていたオーケストラの音とは、残響の長いムジークフェラインスザールの音だったということだね。

おとくん

そういえば、音楽の先生も、作曲家は、ホールで演奏されることをイメージして作曲しているって言っていたよ。

お父さん

そのとおりだね。ハイドンもハイドザールの響きを前提として彼のシンフォニーのスコアを書き進めたって云われているし、古くは、バッハの宗教曲の多くは、トーマス教会のために書かれたらしい。トーマス教会は、司教の説教の明瞭度をあげるために、タペーストリーを多用して残響時間を、1.6 秒程度まで押さえた教会で、バッハは、教会としては、短めの残響時間のことを考慮して、作曲したんだ。

おとくん

残響時間って、音がなくなるまでの時間のことをいうの?

お父さん

音が鳴っている状態から、その音を止めて、60 dB 減衰する時間が、残響時間の定義なんだけど、1900年に、竣工したボストンシンフォニーホールの設計で、W.C.セイビンという学者が初めて残響時間という考え方を導入したんだよ。当時は、おとが言ったように、音がなくなるまでの時間を測ったらいしいけど、音源にはパイプオルガンのオルガンパイプを使ったそうだよ。

おとくん

ホールの音の測定っておもしろうそうだな。今は、コンピュータを使って、測定するんでしょ。

お父さん

そうだね。ホールの音の測定や音の設計については、今度詳しく教えてあげるね。

 

 

*1 ハイドンザール:オーストリア アイゼンシュタット 領主エステルハージ候の居城の中にある。ハイドンが1761から30年間宮廷楽長を務めた。残響時間は、低音域で2.8秒、中音域で1.7秒と豊かに響くホール。
(500名収容、竣工1700年)

*2 旧ゲバントハウス:ドイツ ライプチヒ 第2代、第3代のゲバントハウスと引き継がれる。
(平土間300席、2階200席、1781)

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