なかにわ

計測あれこれ


 光陰矢の如しと云いますが、私も測器製造を始めてから、早いものですね、もう半世紀近く、経ってしまいました。その間様々なことに、出会いもしました。それらを、あれこれ思い浮かべながら、書いてみます。

さて、計測あるいは測定とはどんな事でしょう。難しくいえば物理的な諸現象を数値化して評価する事だそうです。今日は、'寒いですね'では計測にはなりません。「15度だから寒い」のように数字に直して、初めて計測した事になるのです。

しかし、計測器は、いとも簡単に数字で示されますが、それが本当に欲しいデータを表しているかどうかの判断は、難しいことです。温度計図まずポピュラーな温度計測で考えてみましょう。同じ室内でも温度は、測定場所で変わってきます。それでは、平静な実験室内すら、どれを室温として良いか分からない事となります。

それに加えて、その中で、エンジン実験をしようとすると、エンジンは発熱し、一方大量の空気を消費するので、外から違った温度の空気が乱入してきます。それではエンジン性能を左右するし、吸気温度は、ランダムに変わって、温度の測定が出来なくなり、結局はエンジン解析不能といえる事態になります。

 三菱重工から長崎大学に行かれた泉修平教授が、大学に熱流体研究室を創設されたとき、冷却水、燃料油、吸気温度など、いずれも 0.5 ℃以下、給気圧は水柱 5 mm以下の精度で制御される、巨大な実験室を設置されました。私は始め、何故こんな装置が必要なのかと思っていましたが、正確に、燃焼やエンジン性能の実態を把握しようとすれば、初期条件を徹底的に整える 、巨大な空気室や、燃料油槽、冷却水槽から供給する必要があるのです。また、その際当社にも、ディジタルトルクメータを中心にした、エンジン、ダイナモ実験装置と、アコースティックインテンシティメーター、音響解析装置を注文していただきました。

泉先生は、それら温度を、強制的にコントロールする事で、燃焼解析の原点とも言える、指圧線図を正確に描く事の出来る燃焼解析装置を開発し、燃焼の実態把握に貢献し、また、振動騒音を8点同時オンラインで計測解析し、燃料の質、吸気温度、冷却水温度の変化を、世界に先じて無響室を使わないで、解析できるようにしました。

 ところで、私どもの宇都宮工場は精密加工の恒温工場を持っています。大分昔の話になりますが、月曜日と火曜日に、不良品が多く出るいわゆる月曜病にかかったのです。原因を調べてみると土曜日曜に恒温室の温度調節器を切っていたらしいのです。問題はここです。恒温室内の空気の温度は、一応数十分で一定らしくなるでしょう。だが工場内の工作材料、工作機の温度は、一定になるまでは、少なくとも数日かかるという事です。温度が不定では精密加工が出来るはずはありません。それが不良品となって現れたのです。いくら節電でも温度調節の電源を切ることは出来ないのです。

私も苦い経験があります。トルクメータで使われるトーションバー材料の、トーションバー図実際の横弾性係数温度関数が必要で、恒温室の中で測定していました。ところが期待した直線にどうしても乗らないのです。これも結論は、材料の温度が一定になる時間まで待てなかったからです。即ち一点を測定するのに、一日位時間を充分にとって初めてカーブに乗るようになりました。

だから、もしトルクメータも材料の温度係数が問題になるほどの精度を要求されれば、温度によって、横弾性係数が変わらない材料を選ぶしか方法はない事になります。それはトーションバーの温度を一定にすることが出来ないからです。恒温室の作業でさえこんな調子です。これが普通の室内での、材料などの温度の推定が、いかに難しいかを表しています。

以上の温度計測の例を見ても、いくら温度計の精度を上げても、実際の温度を知る難しさがお分かりになったことでしょう。

 

 

 



 私は技術者というより、根っからの職人だと思っている。職人の知識は、全部とは云わないが、本を読んだり、先輩から教えて貰ったりして、蓄えた知識ではない。ほとんどが人の隙を見て、盗んで経験して、そして考えぬいて覚えた技術である。

最近もテレビで代々続いている人間国宝や、技術功労者の話が、良くでている。それには必ずの様に、師匠でもある親父の思い出話に花が咲く。Animal内容は「親父は何も教えてくれなかった」とか、作品を批評してもらいに持っていくと、黙って踏みつぶしてしまった、とかの話になってくる。結局息子は、親父の後ろ姿や、作法を盗んで、自分で考え工夫を加えながら、仕事を覚えた事となる。しかし、べたべた教えられたのではなく、この自分で考え工夫し覚えたことが、次の独創を生み、新技術を開拓し、親父なり師匠を越える原動力となるのである。

一方、親父の方も盗んで覚え完成した芸は、自力で系統だった理論に展開することは難しかった為で、本音は教える事は出来なかったのかもしれない。

 私は戦後電子管計数器から始めて、今で云うディジタル計器を機械業界に納めていた。そのとき日産さんから、この燃焼解析器を製品化してくれと、当時大阪市立大学の教授であった大東先生の機械学会論文を差し出された。そのすばらしい論文を拝見して、早速作るための許可を受けに大阪に赴いた。それが大東先生との初めての出会いであった。そのとき、私も小野測器の製品内容と、特に当時研究を始めていたトルクメータの説明をし、どうしても主要因子が分子と分母に現れて消去されて、理論付けに苦慮している旨を申し上げた。

それから、暫くしてから、突然東京の小野測器にお見えになり、トルクメータを論文に仕上げS.A.Eのデトロイトの総会に発表しようと申し出を受けた。私はビックリしたが、先生と共に、宇都宮の小野測器保養所に数日間合宿して、やっと理論付けの骨子と論文が出来上がった。

私は理論付けとはこんな風にするのかと、ただただ感心させられたのを覚えている。

私と大東先生その後、S.A.Eから、その論文を採用するとの通知があり、昭和39年暮れ、外貨取得の難しい時代の持ち出し上限500ドルを持って、約2ケ月間ヨーロッパ、アメリカ周りの旅に出た。1ドル360円の時代とはいえ、500ドルで2ケ月間旅するには、まさに自分の金では飲めず、食べれずの貧乏旅行の見本みたいだったが、論文発表の方は無事にすますことが出来た。>

このトルクメータが私のライフワークと発展し、京都大学での学位、紫綬褒章その他数々の賞を頂いた。これは偏に先生のお陰であり、また、私を少しでも職人から技術者に導いて下さった恩人でもある。

 考えてみると、製品を作るには、始めに理論を組み立て、綿密に準備し、設計してから、製作するのと、「出来そうだな」、の勘がひらめいて闇雲に作り、後から理論付けする2種類あると思う。私のは職人芸というか、後者であって、机上で考えたのは一つもない。焼酎を飲みながらとか、トイレの中とか、寝ながらとかである。そのかわり後の理論付けには七転八倒せざるを得ないのである。これも懐かしい思い出の一つだ。

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