なかにわ

創造とは、新しき物への挑戦であり、時間を惜しんではならない。

 

著者 小野 義一郎 戦後日本は、先進国に追いつけ追い越せで、それら国々の知恵は拝借したが、低賃金と、QCを掲げた高品質と、その持ち前の惜しみなき勤勉さを投入して、ここまで発展してきた。 だが、もう賃金は世界最高のレベルまであがったし、先進国に追い越すテーマも少なく、これからは全部自分で創造しないと、教えて貰えない時代になって来た。 そのため、低賃金を求め工場は台湾へ、タイへ、はたまた中国へと移動しつつある。即ち低開発国より追い上げである。その結果が今の不況を招いている。 この不況を脱するには、もう賃金を下げたり、先進国から知恵を拝借は出来ないだろう。一人一人が自分で考え行動する、即ち創造しか道はない。


この創造とは何であるかを考えてみよう。 それは、新しい物への挑戦である。単なる記憶でない。本を読んだり、他人から教えて貰えるものでもない。自分で自身で考え出さねばならぬ物である。

ただ、時間だけは、人に先じられない限り、幾ら掛かっても良い。私自身の経験でも、後から考えると、ほんの一寸した前進でも、10年も20年も時間がかかってしまった物もある。時間を惜しんではろくな物にならない。むしろ、時間をかけて創り出した物ほど寿命も長いし、優れた物になっている。


若いときに、嫌々仕事させられて覚えた事は、始めは無駄な努力をしたと嘆いていた時もあったが、時間かけてみると、すべて血となり肉となって役に立った。好きなことばかりやっていたら、こうは行かなかったろう。

また、今小野測器の基本となっている、弱電の知識は習わないでも、何時のまにやら身に付いた技術だ。その弱電の技術を、もし本家の通信業界や、情報産業に挑んでいたら、ハンチクな技術で物の用に立たなかったかもしれない。それを、自分が嫌々ながら覚えさせられた、機械産業に応用したからこそ、世の中で認められるような独創品が生まれたのである。

若いときは、好きなことは勉強しないでも覚えられる。嫌いなことや、強制させられた仕事は、自分から進んで、努力すべきだ。やがてそれが種となり、長い一生には必ず前途が開けてくるものだ。


私は戦後に造船分野での仕事をとろうと必死になっていた時代があった。だが、日本の造船のエンジンは殆ど外国のライセンスで作っている。すると測定器の種類などライセンス主の方で決まっている。いくらよい案の測定器を持っていっても採用されなかった。

だが、戦後の日本造船所の自前の技術は船型であった。だから、船型試験の測定器は運輸技研から各造船所を殆ど独占できた。

ところが、三菱の長崎造船所さんだけは別で、自力でUEエンジンを設計していられる。それ故、小野測器が従業員2、3人の時代から、水力測定に、エンジン設計にタービンに、発電機にと随分使っていただいた。名古屋、東京の三菱さんでも同様である。
資金も、完成された技術も、土地も工場も地縁もなにも待たないで、既成の分野に割り込む事は、非常に難しく通常の方法ではまず無理と考えた方がよいだろう。しかし、新しく自分で考え創造した技術で、必死に挑戦したなら、入り込む隙も、道も自然に開けてくる。


私の場合、旅順工大電気工学を選んだ以外、運命の女神は戦乱や敗戦で、何一つ自由に選択する余地は残してくれなかった。苦手の嫌々の道か、思わぬ方向か、である。 結局、私の進もうと思った念願の強電の技術は結局は使わずに終わったらしい。しかし、嫌々の中にも、私は運命の女神には、ただただ従順に従った。ただし、その場その場で考えた末、最適と思われる、ベストは尽くしたつもりである。

考えようによっては、自分の嫌な道には、大体に他人もいやがる。だから、自分の嫌いな分野には、真剣に考えさえすれば独創品が生まれやすいし、かえって住み易いのではないか。
また、自分の好きな道だけを行けば、どうしても視野が狭くなり独創品にはなりにくい。私の趣味の、片手間で覚えた弱電技術など、世間に通る筈もなかったろう。嫌な機械や、諸々の思いがけない、変わった技術と結びついたからこそ運が向いてきたのである。


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